ミニアルバム「R」2019.4.9release
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コメント
様々な場所で知り合った皆様からコメントをいただきました。ありがとうございます!
(五十音順)
ごめん!!
コメント無理!!
音源聴いたけど恐れ多すぎて、、、!!
いつも4曲目あたりで夢心地になって寝落ちしてまうし、、、
あ、子守唄か?!
あれ?なってるはず無いけどビート聞こえてこない??入れてるよね?
やっと5曲目たどりついた!
もっかいちゃんと聴くね!
あれ、口ずさめる、、、、
CUSTOM NOISE 安齋
ピンぼけした遠ーい記憶がゆっくりまぶたに映し出されていく。そんなノスタルジックさをアルバムに感じました。
リミックスさせてもらった「なんとなくしか」はテンポも良くリズミカルな曲調で、歌詞の内容も空っぽ。聴いていてとても心地よかった。リミックスは断片的な記憶がぼんやり映し出されるイメージでチミドロの談笑を交えて作りました。
早く二人の生の声にも触れたいな。
二人の声しかないはずなのに左右だけじゃなくて前後の奥行きも深くて、
色んな種類の響きがあって、1曲の中でもどんどん変化していくから
耳がどこにあるのか、聴いている自分はどこにいるのか一瞬分からなくなって楽しくなりました。
そこらへんのエンジニアリング面にも拍手。
ジャケットが良い!夜?なのかちょっと怖い感じもするけど、ちゃんと任せたらどこへでも連れてってくれる、
そんな感覚のこの5曲が視覚的になってて好きです。
最後に、声だけでも実は結構踊れる。
ストレートに”ダンスミュージック”とは言わないけど、人間の音で作られた人間の曲は聴いている人間の身体を何かしら揺らすのだと再確認した5曲です。
何回も聴けるお気に入り!
音楽ってそういえばもっと、プリミティブなものだった。波形が振り切れた音楽は、世界をシャットアウトできるけれど、代わりにイヤフォンががっちり耳の穴を塞いで、風の音や鳥の声を聴こえなくしてしまう。二人が奏でるのは、いま、失われがちなそういう音だ。河原を歩いたり、友人と別れたり、冬がやってきたりした時に世界が聞かせてくれる音、その感覚、頭の中で一瞬だけ聴こえるメロディライン、ベースライン。ひとつひとつを緩やかな手つきで拾って、できるだけエフェクトをかけないで、聴こえたまんま、音楽にする。ヘンテコなメロディと俗世的でない歌声なのに、なぜかどこかで聴いたことのある感じがするのは、ぼくたちが聴いているはずの世界の音を、感覚を、かなりの透明度で唄ってくれるからだと思う。
また随分と長い間忘れていたな
静かな孤独に帰って行けるこの気持ち
でも確かに何かが目の前に居て
向き合う相手は不思議と自分てワケでもない
孤独のまま戯れていられる
そう、なんだかここはきっと愉快な場所なんだ
ばきりノすが教えてくれた場所
SNSの真裏にきっとこの音楽は落ちていたんだ
たった2人? 2匹?の声のアンサンブルで表現される全楽曲は沸騰するような妙な心の高揚感を覚える。
コードもリズムも当てはまらない聞いた事ない音楽なのは一聴すればわかるだろうし、
前作などはフィールドレコーディングという自然環境で録音する方法も素晴らしかったけど
今作は録音スタジオで効果音まで声で表現している。
是非ヘッドホンで臨場感を体験して欲しい。
個人的にM1『空を描く少年』はrasの声位置が変わりゾワゾワする。
この表現は必聴。
ばきりノすの音楽を体感した事のない方は是非聞いて頂きたい。
一回聞くともう一度聞きたくなる不思議な作品。
ばきりノすを聴いていると鼻からプクーっと魂が抜けていくような感覚がある。僕らがいかに日常に縛られているか、そこから自由になりなさいというばきりノすの誘いがいかに魅力的か、よく表れていると思う。
この感動をどう表現したら良いのか。憑依するものの怪、でもどこかみんなのうた。うまいこと言ったものだ。
今年の2月、兵庫県但馬にて冬フェスが行われた。会場は「R」のジャケット撮影にも使われた、たじま高原植物園。
辺り一面の銀世界の中、夜の闇へと響き渡る二つの歌声。まさに物の怪たちが森の中へ憑依していくかのようだった。どこかシリアスさを感じさせるメロディが、不思議と心地よく耳に届く。一度聴いたら頭から離れない旋律。それらがハチ北の雪山へと溶け込んでいく様を見て、完全に僕も憑依されてしまった。ものの怪は、彼女たち自身だったようだ。
「R」のおかげで、あの体験感覚をいつでも思い起こすことができる。リリース、おめでとうございます。
ばきりノすの音楽には独特の“風景”がある。 新譜を聴きながら、そのことを再確認した。 曲名に“森”が入っている(2曲目「森模様」)から、“森”っぽいとか “春”の風景(4曲目「曖昧な春)とかそれだけではなく、 視覚や聴覚を超えた、五感の外側にいるような不思議な感覚。
アルバム1枚を通して聴いてみても
風 森 ざわめき 雨 土 しずく 空 家 光 霧
そういったイメージを想起させつつ、 その上から“得体の知れない何か”をばきりノすが描き足してくる。 気付けばよく知っているはずの風景の上に“何か”いる。 その描き足された“何か”が愛おしくて、知りたくて ずれた風景にのめりこんでいく。 いつの間にかその風景こそが“本物”のように感じる不思議。
こちら側の日常にばきりノすが無邪気に落書きしてくる。
「ばきりノす」の二人とは結構長い付き合いになるけど、ずっと二人のことが分からない。天真爛漫なラスさんと穏やかでほんわりしたガキさん、っていうキャラクターかと思って近づいてみると派手に裏切られたりする。このミニアルバム「R」を聴いていても、曲ごとに瞬間ごとに二人の力関係がクルッとひっくり返ったりして驚かされる。スリリングで、そこが面白い
うーん…暗い(笑)
冗談はさておき、全曲を二周聞いた時点でこのコメントを書いているが、印象は「歌」というか「唄」。 自分の活動内容がら、どうしてもアカペラを聴くとトラック(オケ)を付けたくなる。 そういう耳で聞いてみる(3回目)。
なるほどこれを聞いたリスナーの人達が、それぞれにこの声達に自分が思い描いた伴奏を頭の中で付けてあげると言う聞き方もありだなと気づく。
それは別に音階が無くてもいい、風の音でも、都会の雑踏でも、海の波の音でも。 その人が聞きたい場所、聞きたい環境で自由に聞いて完成する1枚なんだなと。
個人的にはJUNO106(シンセサイザー)がとても似合いそうな1枚。
うーん…暗い(笑)
聴いているとき、12~13年前くらいに木屋町通りで突然ラスさんに挨拶がてらどつかれたことを思い出した。
あのときはお互いがそれぞれ近くの別の場所でライブだったのではなかっただろうか。 年を取るとなかなかどついてくれるヒトも減るなと思う。
ラスさんは今でも遠慮なく私をどついてくれます。
ガキさんは数年前、自分に長いインタビューをしてくれた。
あのときはラルクの話を無駄にたくさんした覚えがある。
あとそれ以外にも音そのものやフィールドレコーディングのことも話をした。 ガキさんはそういう話ができるヒトです。
ということで、私たちは干支が一周するくらいお互いを知っている。
なのでこの「声」たちも長らく知っているのです。 その事実から始めて、いくつかコメントします。
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2曲目「森模様」、4曲目「曖昧な春」に特にそれを感じたが、この音たちはこの録音の外に行きたがっている感じがする。
録音の中の音が外へ向かおうとしている様をここでは感じることができる。
そしてその音の持ち主=外部へのガイドとして、ラスさんとガキさんがいる。
彼女たちは録音の中にいて、イヤフォンをする私たちは動くことができる。
私たちはこれを持って、いくつかの場所で移動をしながらこれを聴くべきではないか。
それを2つの声が望んでいるように感じます。 (声しか入っていないのはそういうことではないか、そして「だから声のみなのか!?」とも思った) (その辺りどうなんですか?ばきりノす?)
声とは人や動物が、のどにある特殊器官を使って出す音。
その「声」という音が何かしらの「外部」に繋がっていく、という事実。
外へ、外へと声がガイドしているような、そのような音楽。
声のみによってそう感じるものというのは、意外と稀有ではないかと、今思います。
そして5曲目のタイトルよろしく、「響くコト」というのは元来そういうこと(=音源と音源の外部があるということを示すもの)ではなかったでしょうか?
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さて、歌の中の彼女たちも出かけ始めている。
私たちはまた、 どついたり、どつかれたり、話したり、声を出したりすることができる。
「間もなくかな?」という曖昧な季節の中で。
思えばばきりノすとはもう長い付き合いになる。「森模様」を懐かしく聴いて次曲「なんとなくしか」という初めての曲を聴いた時「そっか。その間もずっと止まらずに声を放っていたばきりなんだなぁ」なんてちょっとおセンチに天井見上げてしまったのでした。
人間の目にはあんまりロクなもんが映らない。でも聞こえてくるものに限界はない。そっちの方がホンモノじゃない?そんなこと聴きながら思った。
ばきりノすが放つ、声ふたつの世界は見えないものを見せるチカラがあるよ。だって聴けばすぐ拡がるもん。グワーッって。
子供の頃よりももっと前のような気がする世界。
暗闇をぎゅーんって光が動いているような光景をイメージする。
歌声はエネルギーの塊で、
言葉は強い力で霊になって飛んでいく。
イメージする能力は、
子供の頃から衰えていく一方だって
偉い大人のひとが言ってたけど、
絶対そんなことないよなぁ。
近況報告ですが、断然CD派の僕はCDウォークマンにその時々のお気に入りを入れて街に出ては、本屋に行ったり、タワレコに行ったり、服屋に行ったりして、丸一日を費やして家に帰る。と、いうことを思春期の頃、本当にしょっちゅうやっていたのに、最近は全然やってないのでまたやりたいなあ、と思っています。 今回リリースの「R」は、前作「まほろば山の唄うたい」とは打って変わってのスタジオレコーディングともあり、お二人との距離は、よりクリア、ぐっと近くに感じました。そんな仕上がりだからこそでしょうか、あえて、街に出てがしがし聴きたい。アーバンでラギッドな作品。ありがとうございます。
懐かしさもあり、新しさもある。潔さの上にあるユルイ緊張感が心地よい